いぬのいる島

日々、散歩しては迷っている

3月24日(日) 慣習と常識 クリーニング店で引き取った服をその場で着るのはアリかナシか

 

何度か目を覚まし寝返りを何度も打って、朝9時ごろまで寝ていた。今日は深夜までの仕事なのでもう少し寝溜めておきたかったけど、長く寝るのがあまり得意ではない自分としては及第点だろう。

 

外は曇って暗く、いまにも雨が降り出しそうだった。コーヒーを淹れて、前にパートナーがもらってきた和菓子の菓子折りに入っていた鈴カステラを朝食にする。カステラをつまみながら日記を書きはじめる。

 

短い日記を書き終えてゆっくりしているとパートナーが起きてきた。彼女は今日は仕事が休みで、夕食を友人と食べるまではゆっくりできるとのこと。彼女も菓子折りの中のお饅頭を朝ご飯がわりにひとつ食べ、「レンジで温めたほうがおいしいかもしれない」と呟いていた。

 

ふたりの入籍に際して、お互いの家族のスケジュールを調整して「顔合わせ」の段取りを相談した。以前から調べていた割烹やらホテルを見繕っていく。こういう時に、インターネットがある時代でよかったと思う。顔合わせの会場も、宿泊先の情報がわからなければこの労力も相当なものだったはずだ。もっとも、新幹線も飛行機もネットもない時代であれば、遠いところに住んでいる両親が顔を合わせる機会を作ること自体がとても難しいものだっただろうけど。その時代の「結納」や「顔合わせ」という儀式の重要性は、今わたしが考えている価値とはまったく違うものだったろう。しかし同時に、わたしの後の世代ではなくなることも十分にあり得るなとも思う。もっと気軽なかたちになるのだろうか。たとえばお互いの親がSNSで繋がっていたりもするし。結納金はPayPayになったり。結納金を渡すこと自体が先になくなるか。

 

この流れで来月のわたしの仕事のスケジュールを確認すると、仮スケジューリングとはいえ、なかなかぎゅうぎゅうに詰まっていて緊張感が増す。パートナーも来月は忙しいと言うし、4月はバッテリー作業はあまり捗らないかもしれない。

 

パートナーが、連日の雨で溜まった洗濯物を近くのコインランドリーの乾燥機まで持って行ってくれるということで、洗濯機を回す。わたしは仕事までに革靴の手入れでもしようかと思ったが、ステインリムーバーが切れていたので、やめた。仕事の休憩時間に買おう。

 

昨日の夕食の残り物を温めて昼食にする。ふたりでご飯を食べて、わたしは仕事の準備をする。そういえば先日クリーニングに出したコートをとりにいくのをすっかり忘れていたことを思い出す。わざわざ取りにいくのが、やや面倒臭い。ということで、コートを着ずに家を出て、クリーニング店で引き取ったコートをその場で着ることにする。ズボラは恥を知ることがない。

 

コートなしで少し早めに家を出る。やはり肌寒いが、いけないこともない。雨が降り出していたので傘をさし歩いてクリーニング店へ。「コートをこのまま着ていきたい」と言うと店員さんが少し驚いた表情をしていた。

 

前に一度、別のクリーニング店で同じように引き取った服をその場で羽織ったことがある。その時の店員のおばちゃんは、「スーツを引き取ってその場で上下着ていく人もいるよ」と言っていたので「まあまあ、みんなやっていることなのだな」と思っていたけど、常識はずれの行為なのかもしれない。実際やったことがある人はどれくらいいるのだろうか。クリーニング店の店員さんにも聞いてみたい。

 

 

仕事を終えて、時間は深夜1時前。SpotWORKのマップを開いてみるけど、周りに作業依頼が出ているスポットはなかった。歩きだし深夜だし雨だし、今日は大人しく家に帰ることにする。今日はバッテリー作業のノルマ達成ならず。仕事を頑張ったのでよしとするか。

 

帰宅途中のセブンイレブンで「冷たいまま食べるチキン南蛮」を買う。店を出たところ、わたしの家の方向に伸びている横断歩道の、歩行者用の青信号が点滅していた。慌てて駆け出す。すると、交差点の真ん中で「冷たいまま食べるチキン南蛮」を落としてしまった。チキン南蛮のカップがコロコロと転がってそれを追いかけるわたし。深夜1時になにをしているんだろう。自分の姿が滑稽で、ひとりで笑ってしまった。

 

帰宅すると彼女は寝ていて、わたしはビールとチキン南蛮で晩酌をした。深夜の仕事終わりは普段よりも余計にぼんやりと過ごしてしまう。Youtubeで「カミナリの記録映像」を流しながらぼーっとする。気がついたら2時をすぎていたので、風呂に入って、『カラマーゾフの兄弟』を少し読んでから3時ごろに就寝。

 

カラマーゾフの兄弟』が残り数十ページなのになかなか終わらない。ここまで長く読み続けた本は初めてなので、すこし終わってしまうのが寂しい気もする。