いぬのいる島

日々、散歩しては迷っている

2月12日(月) 愛は負けても、親切は勝つ

建国記念の日の振替休日で世の中は三連休最終日。天気は晴れだが、なかなか寒い。

 

わたしは午後遅くからの仕事だったので朝はゆっくりだが、パートナーは日中に法事があって早めに家を出るとのことで、平日とあまり変わらないくらいの時間に起きた。

 

コーヒーを飲みながらNHKを見ていると、今日はあさイチではなく、平野レミさんが元気いっぱい、というよりは常軌を逸したハイテンションで生放送の料理番組をやっていた。アシスタントとして一緒に出演していた和田明日香さんがまったく隠すことなく完全にさめた表情をしていたのが印象的だった。中山秀征さんとハライチの澤部さんというバラエティ完全サポート体制で脇を固めていても、平野レミは止められない止まらない。料理番組というよりは、荒れ狂う竜巻を中心に番組を成立させたい周囲の苦闘を見まもっているようで面白かった。ジャンルはドキュメンタリーだ。

 

 

洗濯をして日記を書いて昼まで寝ようかと思ったが、眠れないので支度を始める。手持ちのバッテリーは5個あるので、マップを見てみるとちょうど職場付近に、5個補充の作業の依頼が。この時、出勤時間が近づいていたのだが、この距離なら行けると、この依頼を予約して出発。

 

補充場所は百貨店の7階にあるスマホの修理屋さんで、一応あたまの中で自転車と徒歩、デパート内のエスカレーターを利用してかかる店までの所要時間を計算して、職場に到着するまでにやや余裕があることを想定して向かった。職場の駐輪場に自転車を停めて、百貨店に向かいエスカレーターに乗る。ここまでは計算通り。

 

しかし、わたしはこの仕事を始めてまだ3日、経験不足は自分でもわかっているつもりだったが、落とし穴は突然現れる。

 

ここでSpot WORKのバッテリー補充/回収作業のマニュアルの話になる。駅以外の店舗へ作業に訪れたら、作業開始の前にお店の従業員の方に挨拶し、自分は登録されたバッテリー補充/回収員(Spot WORKでは「ワーカー」と呼称される)であることを示す証明書の提示が義務付けられている。

 

わたしも店舗の従業員の方にご挨拶しようと思い、スマホに証明書を表示して向かった。寒い野外から暖房が効いた店内に入ったことで少し汗をかいていた。わたしは人一倍汗かきだ。汗をハンカチで拭きながら受付カウンターに到着すると、なんと無人である。そして1枚のラミネートされたA4用紙が置かれていた。

 

「14:00〜15:00は休憩をいただいております」

 

当然だが、休憩時間は必要だ。法律でも定められているやつである。しかし、わたしもこの後出勤しなければならず、その出勤時間は15:15。従業員が帰ってくるであろう15:00を起点に、余裕があったはずの所要時間の計算をやり直す。お店から職場まで向かい、タイムカードを切るまでの時間を前回よりさらに細かく再検討する。うう、けっこうギリギリだ。焦る。

 

(もし、なにかの事情で店員さんが戻りが5分遅れたら?)嫌な事態だ。

ましてや今日は祝日、どんなトラブルが起きてもおかしくない。暑い。汗が大量に噴き出す。このスマホ修理屋さんはフロアでも端のほうにあり、周りに人はいない。こうなったらマニュアルを無視して、補充だけやってしまうか!?という考えも思考の端に浮かんだ。誰にも迷惑はかからないだろう。しかし、なにがクレームにつながるかわからない。しかもわたしは病的にルールというものに縛られる小心者的性格なのだ。石橋はめっちゃ叩く。そんな性格だからこそ、このバッテリー補充ノルマを自分に課すというマゾな遊びが成立している側面もある。もちろんこの性格なので、基本仕事は無遅刻である。まあそれは社会人として当然のことだけど。あー、店員さんどうか早く帰ってきて。

 

予想外の事態に周囲を見回していると、遠くからスマホを手にした男性が向こうからやってくるのが見えた。(スマホ修理屋の店員さんならきっとスマホが好きなはず。あの人が店員さんか!?)と思い作業員証明書をiphoneの画面に再表示、笑顔を意識する。が焦りが混じって、自分でもぎこちない表情になっていることがわかる。

 

しかし、この男性はカウンターの紙を一瞥し、わたしの後ろに並んだ。どうやら自分のスマホを修理してもらいにきたお客さんのようだった。

 

こうなると、わたしの中ではまた話が違ってくる。わたしはあくまで作業員であり、客ではないので、後ろにお客さんが並ぶとなると、なんか営業を滞らせる結果につながるような気がしてしまう。小心者は常にマイナス思考である。また汗をかく。そしてさらにもう1人別のお客さんがやってきた。当然この人も修理してほしいスマホを手にしていたので、わたしはより一層の思い込みと期待を持った迎えたのだが、さらに後ろに並び、いよいよわたしを先頭にした列が形成される。時間が経つ。

 

時計はついに15:00を表示した。店員さんは帰ってこない。

 

終わった。

 

と、思っていると、店員さんが走ってやってきた。即座にわたしは「えへへ、Charge SPOTのバッテリー補充に参りましたー」と、よくわからん感情と表情でご挨拶して、店員さんは「ああ、はい」とスッとお客さんの対応を始めた。急いで作業を済ませて、一礼してその場をあとにした。

 

結果、出勤時間には間に合ったのだが、どっと疲れた。インナーのTシャツが汗でビッショリだった。こういう事態も想定しておかないといけない。ひとつ学びました。

 

 

 

仕事を終えて、深夜0時。ここからは回収メイン時間帯のはずが、マップを見ても全然作業の依頼がない。みなさん連休最終日の夜は早めに家に帰って、モバイルバッテリーのお世話にはなっていないのかもしれない。

 

しかし、わたしもノルマの5個は夜のうちに押さえておきたい。京都市でも北にぽつぽつと回収の依頼が点在しているのを見つけた。労働終わりに向かうには少し遠いとも思ったが、わたしの場合、運動が主題で効率は二の次だと自分に言い聞かせて、自転車を漕ぎ出す。

 

こーれが、めちゃくちゃ寒い。耳が痛い。ちぎれる。一方で、コートを着込んだ上半身は運動したことで熱を持ち、汗をかく。頭からの汗は首筋と耳周りで寒風を受け続けることになった。正直、舐めていた。もっと防寒をするべきだった。つらい。鼻水も出てきた。しかし、こうなるとこっちも意地だ。自棄になって漕ぐ。個人的に京都市内の北側は南側に比べると土地勘があるほうだが、夜は暗いし、人がいないし、知らない場所のようで寂しい。

 

 

やっと目的地のコンビニに到着し、南アジア系の店員さんにご挨拶。彼が無言でバッテリーのスタンドを指さし、頭を下げながらやっと回収する。かけた労力に比べて、収穫がバッテリー1個では少なすぎる。わたしが開始から順調だったのは、いま考えると当然なのだけど、週末のバッテリーバブルというビギナーズラックのおかげだったのだ。

 

つらいけどもう1個だけ、とさらに北のコンビニの依頼を受ける。同時に帰り道をやや遠回りする位置にあるコンビニの依頼も予約。この時には耳の痛みは麻痺していた。あと足先にも感覚がなかった。太ももには乳酸がたまっていくのを感じる。2軒目もなんとか回収。

 

あとは帰り道をやや逸れた位置のコンビニだ。しかし、2軒目でより北に向かったせいで、予約制限時間の1時間以内という期限までギリギリになりそうだった。心は折れそうなものだが、逆にこの時はハイになっていた。スマホで目的地の場所を確認するのもそこそこに、自転車を漕ぐ。でも信号は守る。これはルールなので。ルールを守った上で課題をクリアするのがおもしろいのだ!とか考えていた。

 

しかし、気分はハイでも、年齢的にはミドルに片足を突っ込んでいる身体は驚くほど長続きしない。辛さがわたしの貧弱な精神に揺さぶりをかける。だんだんと、なんでこんなことしてんだ?と怒りに近い疑念が湧いてくる。3軒目のコンビニに滑り込んだ時には、安堵感もあったが、心はポッキリいきそうだった。

 

もう鼻水も垂れていたかもしれない。若い店員さんがほかのお客さんのレジを打っている。見るからにだるそうだ。さっさと証明書を見せて帰ろうと思った。しかし、この店員さんに「バッテリーの回収にきまし…」と言うと、今度は打って変わって、とてもいい笑顔で「お疲れさまですー!」と挨拶を返してくれた。これまで作業をしてきたお店の店員さんで一番の笑顔だった。

 

救われた。わたしはこの笑顔を忘れない。ずっと覚えておく。作業を終えて、深く礼をして店を出た。また明日も続けられそうだ。あの店員さんは知ることはないけど、ひとりのおじさんの心を繋ぎ止めたのである。まあ、自分で勝手にノルマを作って苦しむ奇行をしている変人なのだが、あの笑顔はそんな人間をも救ってくれた。

 

「愛は負けても、親切は勝つ」

 

カート・ヴォネガット『ジェイルバード』

 

わたしはこの言葉が大好きだ。そして信じていたい。冬の京都の深夜、わたしはその言葉の意味を身をもって思い知った。これだけでも、この珍奇な遊びをやってよかった気がするほどに。

 

耳は痛いし、脚は重いが、それでも上機嫌で深夜の街を帰路につく。

 

 

家に帰り、ポカリを一気飲みして、温かいシャワーで冷えた体をゆっくり温める。上がって一息つき、しみじみとあの若者の笑顔を思い出しながら、スマホを開くと家の近くで4個の回収依頼!

 

寝ているパートナーを起こさないようにパジャマの上からコートを着込んで、深夜のコンビニへ。今日最高の笑顔で店員さんに挨拶をして、最後の回収作業を終えた。合計で7個の回収ができた。結果いい1日になった。