いぬのいる島

日々、散歩しては迷っている

4月19日(日) 鴨川を散歩 鳥の眼がおそろしい

 
 7時起床。朝起きたら空が曇っていた。我が家に自主隔離中のAちゃんはまだ寝ているので、起こさないようにコーヒーを入れて、本を読む。
 
 最後の3章分が残っていた藤原辰史の『分解の哲学』(青土社、2019)を読んだ。気になるところに付箋を貼っていくのが常だけど、この本に関しては付箋を貼りすぎて、本の各ページの最上部、いわゆる天から付箋が何枚もビラビラとカラフルに飛び出していて、まるでスター錦野の衣装になっている。そのスター・オーラは一般人を寄せ付けない。この間電車で読んでいたら、だれも隣に座ってこなかった。この付箋のビラビラのおかげでソーシャル・ディスタンスが保てている。ありがとうスター錦野。ありがとう『分解の哲学』。

 

分解の哲学 ―腐敗と発酵をめぐる思考―

分解の哲学 ―腐敗と発酵をめぐる思考―

  • 作者:藤原辰史
  • 発売日: 2019/06/25
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

 『分解の哲学』を読みきったので、朝食にトーストを1枚焼いて、バターを塗り、その上にハチミツを垂らして食べる。Aちゃんが起きてきた。
「ディズニーランドに行ったのに、コロナで閉園するから急いで園内を回るが列は進まず焦る」という夢を見たと言って、疲れた顔をしていた。Aちゃんもトーストを食べる。それから支度を始める。今日は散歩に出ようという話をしていたのだった。支度をしながら、1939年制作のジャン・ルノワールのフランス映画、『ゲームの規則』を見る。
 
「あらゆる人間に正しい言い分がある。それが最も恐ろしいことだ。」
 
という、監督自身が演じるオクターブのセリフが有名だ。劇中でさらっと言われるのに驚いた。戦時下公開の映画であることもあり、何層にも意味がとれる。映画全体は風刺がきいた恋愛喜劇で、とてもおもしろい。二人ともながら見だったが、上流階級の恋愛遊戯のルール無用っぷりについていけなくて、登場人物の心変わりには何度も「エえ!?」と声を上げながら映画を見る。
 
ゲームの規則(字幕版)

ゲームの規則(字幕版)

  • メディア: Prime Video
 

 

 鴨川へ向かう。空はあいかわらず曇っていたが、明るい空だった。もちろん通りの店は軒並みしまっているが、部屋に飾る花が欲しいということで、途中の花屋を見て回る。まあ閉まっていたが。
 
 河川敷には家から出てきた京都の人々がわりといて、それなりに距離をとって川辺で過ごしていた。鳩に餌をやり笑う老人、その鳩の群れに突進して大声を上げて楽しむ子とそれを見ている家族、一人音楽を流しタテに揺れながらサンドイッチをパクつく男性、河川敷にマットを敷いて密な接触をする男女、犬、猫、鷺、川鵜、鴨、鳶、多数の虫。桜は葉桜になって、たんぽぽは綿毛を飛ばしていた。
 
 北に向かってしばらく歩いて、折り返しで五条通まで下ってから階段を登って河川敷から上がると、目の前に自販機の列があった。ジュースでも、と品揃えを見ると、パッケージに大きく「?」と書かれたジュースが5個並んでいる。80円。すこし不安を煽る価格設定だ。これは買わねばなるまいということで、買う。右から二番目のボタンを押すと、「デカビタ フレーフレーゼリー」が出た。Aちゃんも挑戦する。わたしが押したボタンを認識していなかったので、同じボタンを押したわけだが、同じ「デカビタ フレーフレーゼリー」が出た。飲み物が欲しかった私たちにはこれではなかったので、一口飲んでそのあと飲むことはなかった。ハズレでした。
 
「町内に変な人がでます 個人情報を聞き出して言いふらします注意」や、「車椅子 売ります」という張り紙を見つけては妄想をしながら、フラフラと家に帰る。途中大きく戸を開けひらいた和菓子屋があり、「柏餅」の文字に惹かれて入るも、売り切れており、三色団子や桜餅を買って帰った。
 
 帰って『スタンド・バイ・ミー』を見る。Aちゃんは早々に寝始めたので、桜餅を頬張りながら一人で見る。見終わったらAちゃんが起きて、「『ジョーズ』が見たい」言って、『ジョーズ』を見始めた。わたしは夕食を作るために台所へ。昨日のカレーの残りにチーズをかけてオーブンで焼き、パセリを振って焼きカレーにする。副菜として春キャベツを刻んでツナと和えてコールスローにする。Aちゃんも夢中で見ていた『ジョーズ』を切り上げて夕食にする。
 
  食後はレモンサワーを作り、飲みながら『ダーウィンがきた』を見る。今週はジェンツーペンギン。道を切り拓く身体能力の高いペンギンだが、その面倒見のよい子育てを応援する。酔って声が大きくなりAちゃんは引いていた。今後、気をつけなければいけない。ジェンツーペンギンを襲うオタリアすごく怖い。
 
 その恐ろしさに引っ張られて、川を歩いているときに思い出した動画があった。大きな鳥が小動物を食べる動画だ。さっそくYouTubeで探してみた。その眼の怖さ、動きの不気味さにはあらためて戦慄した。前回見たときはそのあまりの感情のなさに動画を閉じたのだ。ご覧いただきたい。鴨川にいる鷺も、しばらくはとてもじゃないがのほほんとは見ることができないだろう。あいつらひょっとすると他の水鳥食ってるんじゃないか。
 
 
 NHKスペシャルで放送していた『ヒグマと老漁師』というドキュメンタリーを見る。知床で60頭のヒグマと共存する84歳の大瀬初三郎さんとヒグマの生活を撮影していた。初三郎さんはヒグマを「叱る」ことでヒグマに人間の存在を教えて、その境界を越えないようにして、半世紀以上の間暮らしてきた。番組後半、ユネスコの調査団が知床を訪問して、橋の撤去で揉めていたらヒグマが周りを取り囲む。しかし、決して襲ってこないヒグマと初三郎さんの関係性に関心を抱く視察団の博士。なんやこの展開。すごいドキュメンタリーや。
しかしやせ衰えたヒグマってなんて痛ましいのだろうか。あんなに凶暴で恐ろしい存在なのに。
 
 Aちゃんが皿洗いをやってくれるので風呂に入る。あがって『神の亡霊』(著:小坂井敏晶・東京大学出版会、2018)を開く。目次を見て、パラパラめくっていると違和感を覚えた。註解のボリュームがすごい!ミシュナーかよ!と思って読み始めたら註が本文の三倍の量ということで、この特殊な構成は意図したものということだった。『偶然の火花』と一緒にタルムードに言及しており、事情と理由が説明されていたので、著者のおすすめする読み方に従うことにする。

 

神の亡霊: 近代という物語

神の亡霊: 近代という物語

 

 

 眠くなったのでベッドに移動すると、AちゃんがNHKの「地球ドラマチック」を見ており、アニマルロボットが動物の生態を撮影するというお気に入りのシリーズを放送していた。み、見てえ……。ロボットのクオリティが前回とは段違いに上がっている!
 
でも眠気に負けて寝た。
 
しかし、どんだけ動物のドキュメンタリー見てるんだ。あと、「変質者が個人情報を聞き出」してきて困っている貼り紙の人には、「本にびっしり付箋を貼って読みながら歩くとたぶん誰も近寄ってきませんよ」と教えてあげたい(経験済み)。