いぬのいる島

日々、散歩しては迷っている

4月12日(金) レボリューションブックス8周年 中年男性、深夜に号泣す

 

昨日は映画のあと0時を過ぎて帰宅し、寝るのが遅くなったせいで、朝はまだ眠かった。しかし、今日は朝から仕事で早起きしなければならず、つらい。昨晩のお酒が残る事態も心配していたが、そちらは大したことがなくてひと安心だ。まあ『オッペンハイマー』鑑賞中はペプシコーラ飲んでいたから。

 

同じタイミングで出勤前の支度をしていたパートナーと朝ドラを見ながら、主人公の女性のあまりにもまっすぐな台詞に「うわー泣きそうになるー」と笑い合ったが、実はわたしは本当にちょっと泣いていた。最近、涙もろいというか、特に若い人が頑張っている姿を見ると、それが現実でも創作でも泣きそうになる。小さい頃にうちの親や周りの大人たちが「涙もろくなった」と言っていたのが、もしかして“これ”なのか。老いたものだ。でも涙を流すという行為は割と悪くない。目がスッキリする。

 

今日は、というか今日も、夜は飲みにいくのでその時のことが楽しみで、仕事に行く体が軽い。業務も快調に終わらせてやった。

 

 

今日はわたしの愛する立ち飲み屋である、西木屋町の「レボリューションブックス」さんの8周年の記念日なのだ。店主のNさんは、昔「お店の周年記念日はお店が祝われるのではなくて、お客さんに感謝するべき日ではないか」と仰っていた気もする。だが、それでもやっぱり大好きなお店には、お祝いをするという名目で飲みに行きたいのが、酒飲みの心模様だ。それはたとえ、昨晩、当のお店で生き恥を晒していたって止められない。こう書いていて、我ながら迷惑な人間だと思う。いつもお世話になっているうえに、自分勝手で本当にすいません。反省しても反省しても、ダメなところがなおらない。

 

というわけで、仕事終わりにレボリューションブックスへ。当然のように、常連の方々が集まる。そして昨日のわたしのどこがどうだめだったか、問題点を挙げられる。「相手がテンションのエンジンを温めて暖気運転しようとしている状態なのに、それに気がつかないまま、テンション6速で突っ込んでいくようなところ」がよくないということだ。たしかにその通り。反省です。

 

そんな話でも、わたしはとても楽しい。われながらなんと厚かましいのだろうか。そんなにわたしを楽しませてくれるこのお店はなんてすてきなんだろう。今日もまた生き恥を晒した。周りに迷惑なふるまいもあったかもしれない。でも前日よりはマシだったはずだ。たぶん。わたしだってこの次は、より自分のことを好きだと思えるおじさんになりたい。そして、そんなダメ人間でもカウンターに寄せてくれるこのお店には感謝ばかりだ。

 

昨日レボで会った、常連のお客さんであるIさんに「昨日駆けつけた『オッペンハイマー』にはなんとか間に合いました」と伝え、Iさんには最近Iさんが行った旅の話を聞いた。とてもおもしろい。また、カウンターの位置が隣になった初対面の女性と話をしていると、彼女の前職がわたしの前職と一緒の会社だったことがわかり、盛り上がった。店主のNさんに「知り合いだった?」と聞かれるが、初対面ですーと答える。ここでは挙げられないほど、いろいろなひとたちと楽しく話をして、あまりの楽しさに結局閉店間際まで長居してしまった。いい夜だった。

 

ことしもまた「最高の夜」が更新された

 

レボリューションブックスを出て、そこからSpotWORKのマップを開く。するとこの木屋町エリアでは、いつもバッテリー回収業務でお世話になっている「ZINO」というカラオケとダーツのバーのお店が、今日も1個のバッテリー回収依頼を出していた。

 

いつもはバッテリーを回収したらさっさと帰るのだが、この夜は相当楽しかったので、調子に乗ってお客さんとしてお酒を飲むことにした。カウンターのお兄さんに「ここは誰でも自由に歌えるバーで、他のお店に比べるとかなり良心的な値段なんですよ」と聞く。どうやらこのお兄さんは店長的なポジションのようだ。「ぼくはこのお店で働くのが好きなんです」と言っていて、とても好感を持った。あとさすがというか、他のお客さんに誘われて歌いはじめると、お酒を作るながらでもめちゃくちゃカラオケが上手かった。

 

唐突だが、わたしも歌いたいと思った。しかし、周囲はは誕生日を祝っている若者の集団や、睦まじく話しをしてはお互いのためにラブソングを歌い合う2人組しかいない。だが、わたしは酔っていた。こんな状況でも関係ない。歌いたい曲を歌わせてくれ。このあたりで、「もう明日起きたら今日のの記憶はないだろうな」と思っていたので、もはややりたい放題だった。デンモクKing Gnuの「白日」を入れると隣で誕生日を祝っていた女の子が「やるやん、おっちゃん」的なことを言って場を和ませてくれた。歌い始めるが、当然高音が出ない。するとその女の子が、高音パートを一緒に歌ってくれた。おじさんは若者の優しさに感動した。

 

しみじみ飲んでいると、わたしの好きなアニメ『桜蘭高校ホスト部』の主題歌「桜キッス」が入った。大学生だろうか、若い男の子が歌っていたのだが、周りにそんな昔のアニメの曲を知っている人がいないのであまり盛り上がらず、途中で歌うのをやめてしまった。残念だった。わたしの盛り上げが足りなかったせいだ。わたしは他の若い子に優しくしてもらったのに、自分は動くことができないのか。

 

今度はわたしが「桜キッス」を入れる。こうなりゃヤケだ。その男の子には申し訳ないが、ウザ絡みすることを決意する。カウンターで隣り合った青年に「申し訳ないのですが、動画を撮ってもらってもいいですか?」と聞くと「ぼくカメラマンやってます」と返され、失礼を謝りつつ撮影をお願いした。

 

先ほど「桜キッス」を歌うのを中断した男の子のところに行き、「おじさんも好きな曲なんだ。一緒に歌おう」と言う。戸惑う男の子。当然である。しかしわたしは歌い、そして踊る。男の子は完全に引いてた。でもわたしは楽しくなってきて、動画も撮ってもらっていたし、逆立ちとかしていた。こんなテンションが壊れたおじさんに絡まれて相当怖かったと思うし、普通に迷惑だ。本当に申し訳ありませんでした。名も知らぬ男の子よ。しかし、青年は一緒に歌ってくれた。すごい嬉しかった。

 

2人で歌ったあとに話をしたら、『桜蘭高校ホスト部』のアニメを見て「桜キッス」が好きになった、とのこと。ふたりでアニメの好きなシーンの話をして、最後に握手をした。うれしかった。けど申し訳ない。床に手をついて逆立ちしていたその手を洗わずに君と握手してしまっていたよ。ごめんよ。そしてありがとう。わたしは店を出た。

 

ちなみに後で撮ってもらった動画を確認したら、自称カメラマンの青年はわたしのことをほとんど撮らず、店の中で楽しそうに過ごす他のお客さんの様子を撮っていた。まあこういうこともある。

 

帰りにスーパーに寄って飲み物を買うことにしたのだが、その店内で突然涙が溢れて止まらなくなった。今夜があまりに楽しくて、知り合いも、見知らぬ若者も、みんながわたしに本当に優しくて、なんだか涙が止まらなくなった。情緒不安定か。精神異常か。自分でも泣き始めたことに動揺しているのがわかる。

 

このスーパーは深夜まで開いているスーパーで、深夜に仕事を終えることがあるわたしも通う近所のお店だ。深夜勤務のおばちゃんも個人的に話したりはしないが、顔見知りと言っていいと思う。しかし、たまに来る、顔くらいは知っている成人男性が号泣しながら精算するという状況にかなり引いていた。それはそうだと思う。関わらないようにしよう、ということなのかもしれないが、いつも通りレジを済ませてくれて本当に助かった。

 

涙が止まらないまま帰宅。風呂から上がり居間でテレビを見ていたパートナーが、嗚咽しながら号泣するわたしを見て心配してくれる。「どうやって涙を止めていいのかわからないが、大丈夫だ」と伝える。だんだんと落ち着いてくる。落ち着いた。こんな自分の一面があったことに驚くが、パートナーはわたしが落ち着いたのを見届けると寝室へ消えていった。泣いたらなんかスッキリした。

 

まあいろいろあったが、とても幸せな夜だった。

 

4月11日(木) 『ゴッドランド GODLAND 』 『オッペンハイマー』 酒場の偶然とままならない人間(わたし)

 

 

今日は休みだったので、ゆっくりと目を覚ました。10時ごろに目を覚ましてコーヒーを飲み、洗濯機を回す。このところ洗濯できていなくて溜まっていた。

 

それから出かける支度と同時進行で洗濯物を干す。あいにく我が家のベランダはあまり広くないので、服を干す場所のやりくりに苦戦した。隙間なく干してしまいたいが、服と服の間に風の通り道がないと乾燥を阻害してしまう。あたたかくなって、これからどんどん暑くなるわけだが、洗濯ものが早く、しっかり乾くのはが一番うれしいかもしれない。服たち、みんなよく乾け。干す行為に、なにか育てる喜びみたいなものを感じる。

 

このあとお昼から髪を切る予約をしていたので、その前にSpotWORKの作業をこなしてしまおうとマップを開く。二条駅の方向にバッテリー補充依頼があったのでこれを予約。そのまま昼食も済ませることにして、美容院の近くの「はなまるうどん」へ移動した。今に始まった話ではないが、最近のうどんチェーン店のうどん美味しすぎる。今日は暖かいので「冷やしおろしぶっかけ」に大好物のちくわの磯辺揚げをトッピングした。

 

 

お腹も満たされ、ほんの少し時間があったので近くの公園でひと休みする。ちょうど周りのオフィス街のお昼休みの時間帯だったので子供も大人も多かった。みんなそれぞれに過ごしながら、同じ桜の樹を見ては散っていく花びらを目で追いかけるわけでもなくただただ眺めていた。子供たちの高い笑い声が聞こえる。散歩中の犬がその声に反応する。スーツを着た男女が談笑している。いい時間だなあ。

 

ことし最初で最後の花見かもしれない

美容院の予約の時間がきたので店に向かった。いつもヘアカットをお願いしている美容師のKさんにお任せする。髪を他人に触られるのってなんであんなに気持ちいいんでしょう。もちろんKさんの腕がいいからというのもあるだろう。美容院にくると毎回考える。

 

そしてこれを考えるときにはいつも、わたしは自分が子供のころのある夏の日を思い出す。それは「他人にうちわで扇いでもらうと、自分で扇ぐより2倍気持ちいい」と気づいた瞬間だ。わたしが小学1年生の時、夏の教室で、正確にはうちわではなくプラスチックの下敷きをうちわの替わりにして、友達が扇いでくれたのだった。あの瞬間をきっとずっと忘れないだろう。わたしがはじめて他者の存在を、身体感覚で意識した瞬間だったのかもしれない。さすがに言い過ぎかもしれない。

 

 

話が逸れたが美容師のKさんとわたしは、共通の趣味が映画とお酒なので、最近の施術中の会話はこの話題だ。楽しいなーとぼけっとしているといつの間にかヘアカットが済んでいる。いつもありがとうございます。

 

美容院を出て、今度は四条烏丸京都シネマへ。『ゴッドランド GODLAND

』を観に行く。

 


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デンマーク統治下にあった19世紀後半のアイスランドを舞台に、布教の旅に出たデンマーク人牧師の過酷な旅路と異文化の衝突をスリリングに描いた人間ドラマ。

 

デンマークの若き牧師ルーカスは、植民地アイスランドの辺境の村に教会を建てるため布教の旅に出る。アイスランドの浜辺から馬に乗って遥か遠い目的地を目指すが、その道程は想像を絶する厳しさだった。デンマークを嫌うガイドの老人ラグナルと対立する中、思わぬアクシデントに見舞われたルーカスは狂気の淵へと追い込まれ、瀕死の状態でようやく村にたどり着くが……。

(参照:映画.com)

 

 

ずっと不穏。すごい不条理。そしてあまりに取るに足らない人間の儚さ。全部わたしの好みドストライクな映画だった。もちろんパンフレットも購入した。このあとじっくり読むが、とても良かった。こういう映画が大好きだ。

 

最近『アイアンクロー』をはじめ、どこか「人間や人生って、もしかしてわたしが思っていたより素晴らしいものだったのでは…?」という感想になる映画が多かった。しかし、わたしの本来の好み、というかわたしの性格の暗さを思い出させてくれる映画で、だからとても馴染んだ。こういう映画が観たかったのだ。

 

アイスランドの過酷な自然環境を前に、泥だらけになりながらのたうち回る人間たち。人間ってそういう一面があると思う。もちろんその「人間」にはわたし自身も含まれるし、わたしはその辺の人間よりかなりままならない。そんな人間のままならなさがおもしろくて愛おしいと思えるような、いい映画を観た。

 

本当は家に帰って料理を作ろうと思っていたのだが、こんなにテンション上がった状態のまま家に帰れない。という勢いで、いつもの西木屋町の立ち飲み屋さん、レボリューションブックスへ飲みに行く。

 

レボで出会って以来、友達のY.Bさんも来ていて、興奮冷めやらぬまま『ゴッドランド』の感想をぶつけまくる。彼は現在、昭和の日本人評論家を専門に研究しているしている文学研究者で、わたしが感情に任せて口からあることないこと垂れ流しても、忍耐強く聞いてくれる上に言葉の勘所を押さえて発言を組み立て直し、「常識的な会話」にまで昇華させることができるというすごい友人だ。さきほどの『ゴッドランド』ではないが、彼は一本の教養の河のようで、つまり、その前でのたうち回るわたし。いつも喋りまくってすまない。今度奢らせてください。

 

会話に花を咲かせていると、わたしがお店に入った時から店主のNさんと話していた、わたしたち以外のもう1人の男性客から話を振られた。わたしは酔っ払っているのでこの方とご機嫌に話をしていると、その男性のお父上が生前本を出したことがあるという話になった。なんとその本を出した出版社が、Y.Bさんが研究している評論家が、戦後に取締役を務めていた会社だというのがわかった。そんな偶然あります?

 

当時のその男性のお父上が受けとった電報には「(その評論家が)あなたの原稿を持って帰った」という内容が書かれていたらしい。偶然ってすごい。この後本は出版されたそうだ。そのお客さんとY.Bさんの話が盛り上がっていく。立ち飲み屋ってすごい。こういうことが起こるから飲み屋通いがやめられない。

 

しかしまた、わたしはこの時、酒に酔って気持ちよくなりすぎてベラベラと余計なことまでしゃべってしまって、店主のNさんに嗜められた。わたしの酒癖の悪さが出た。反省しないといけない。何度目なのだ。立ち飲み屋が公共の場であることを忘れてしまっていた。周りの人たちにも申し訳ないことをした。申し訳ありませんでした。

 

パートナーに「きょうご飯作れなくてごめんなさい」とLINEのメッセージを送った。このあと、わたしはレイトショーのIMAX版『オッペンハイマー』を観に行くという予定を入れていたのだ。明日から『名探偵コナン』の劇場版の新作が公開されるので、『オッペンハイマー』のIMAX上映が本日限りなのだ。でも飲みを切り上げて帰れるほど、わたしの意志は強くない。結局、上映時間ぎりぎりまで飲んでから映画館へ急いだ。どこまでも身勝手な人間なんだわたしは。

 


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ダークナイト」「TENET テネット」などの大作を送り出してきたクリストファー・ノーラン監督が、原子爆弾の開発に成功したことで「原爆の父」と呼ばれたアメリカの物理学者ロバート・オッペンハイマーを題材に描いた歴史映画。2006年ピュリッツァー賞を受賞した、カイ・バードとマーティン・J・シャーウィンによるノンフィクション「『原爆の父』と呼ばれた男の栄光と悲劇」を下敷きに、オッペンハイマーの栄光と挫折、苦悩と葛藤を描く。

 

第2次世界大戦中、才能にあふれた物理学者のロバート・オッペンハイマーは、核開発を急ぐ米政府のマンハッタン計画において、原爆開発プロジェクトの委員長に任命される。しかし、実験で原爆の威力を目の当たりにし、さらにはそれが実戦で投下され、恐るべき大量破壊兵器を生み出したことに衝撃を受けたオッペンハイマーは、戦後、さらなる威力をもった水素爆弾の開発に反対するようになるが……。

(参照:映画.com)

 

この作品を観るためにNetflixで『アインシュタインと原爆』を見る程度には準備をして臨んだ。クリストファー・ノーラン監督作品は一見すると難解なことが多いので、覚悟はしていたが、それなりに期待もしていた。いろいろな物議を醸した映画という情報も聞いていたし。

 

率直な感想としては期待以上に「面白かった」。この日のわたしのコンディションも、お酒を飲んだ状態で万全ではなかった。そして、上映作品は3時間と、長丁場だったので寝てしまっても仕方がないとも思っていたけど、寝ることはなかった。トイレが我慢できずに一度途中退場した以外は、ずっとスクリーンから目が離せなかった。基本的には会話劇の映画だが、観ている人を飽きさせない工夫が随所に見てとれた。

 

特に音の演出がすばらしかった。わたしは熱心なノーラン監督のファンではないが、いままで観てきた同監督作品のなかでは、音響演出への繊細な意識が一番はっきりと感じられた。「ノーラン作品といえばIMAX」という安易な考えで、まずはその巨大なスクリーンサイズを期待してこのフォーマットで観にいったのだが、一番の収穫は音だった。

 

わたしは原子爆弾の被害を受けた国の生まれで、広島に近い山口県で育ったので、やはりこの作品の「原子爆弾」の描き方と「その後」の描かれなさに手放しで賛同するわけにはいかない。しかし、米国人の現代的な「原罪」としての原爆投下については伝わってくるものがあった。

 

また印象的だったのは、日本語字幕の言葉の選び方だ。直接的な翻訳は台詞の誤解や曲解につながると考えたのだろう、とてもニュアンスを重視した翻訳になっていて、字幕映画の限界についても考えてしまった。かなりデリケートなテーマを題材に扱っているので、字幕翻訳者の苦労は想像に難くない。もちろん、台詞だけでなく、言葉というものは同じものを使っていても異なる意味での解釈が可能であるのが当然なので、仮に原語で映画を観たところで製作者側の意図した意味で観客が受け取れるわけではない。しかしどうしたってその台詞の含意するもの、多様さを削り落としてしまうのもまた、字幕で、というか他言語で映画を観ることの限界だと思う。

 

ロバート・オッペンハイマーという人物の功罪の描き方に関しては、わたしが当人について不勉強なせいで判断は下せない。しかし、現在からの大局的な視点からみるかぎり、正直仕方がない部分はあるのではないかとわたしは思う。

 

たとえば、わたしは映画が好きで、「全てが許されるなら、自分のなかの革新的なアイディアを用いて理想の映画を作る構想がある」とする。そんなわたしのもとに国や周囲からの、時代的な要請で、その映画を撮る権限とリソースを与えられ、しかもその映画を作ることによって多くの人に力を与えられる上に、自分の名声も得られるかもしれないならどうか。なにより一番その映画を観たいのはわたし自身なのだ。

 

以上は、あくまでわたしの妄想の範囲だけど、そんな魅力的な状況に置かれたときに、そのあまりに強力な誘惑に抗える人間がどれだけいるだろうか。やはりわたしは、それほど器の大きな「賢者」は(ほぼ)いないと思う。

 

この作品はその「仕方がなかったのだ」という部分へどうアプローチして、アメリカの映画作品として成立させるか、という苦心が見てとれた。どちらにしても作品としては面白かった。

 

 

シアターを出るとロビーはすごい人だった。レイトショーの終了後は、大体映画館の片付け作業中のスタッフがいるくらいで、ふつう閑散としているものだが、どういうこと?と思っていると、みんな劇場版『名探偵コナン』の0時スタートの最速上映に臨むお客さんだった。お祭り感がすごかった。

 

この話を職場の同僚にするとコナンファンの間では、「コナン友達」という友人関係があって、普段は疎遠な友達だけど、コナンの映画を観るために年に一回会ったりするらしい。すごく素敵なことだと思う。思わずその場で感慨にふける。

 

家に帰るとパートナーがベッドでラジオを聴きながら寝落ちしていた。わたしもシャワーを浴びて寝る。

 

4月10日(水) 睡眠成功と「夜めしや きみ」と春の風

 

この日記のなかで散々「わたしは睡眠が下手」と吹聴し、先日病院まで受診したわたしだが、今朝はおそろしくよく眠れた!5年に1回レベルの十分な睡眠。

 

決して寝覚めがいいわけではない。普段と比べるとむしろ眠いくらいで、ベッドから出なくてはいけないと、頭ではわかっているのだが、体が睡眠を求め、寝室を出るのが遅くなった。眠気を抱えたままコーヒーを淹れた。パートナーと同じタイミングで支度をするので、2人とも動きながら今日の予定を言い合う。「今日の夜は飲んできます」と告げて、彼女が「あいよ」と承諾してくれた。

 

出勤しようと外に出ると、朝の日差しがいつにも増して強くなっていて、思わず眼を細める。早くも夏の気配を感じたので、サングラスをかけて家を出た。最近直射日光ですぐに眼が疲れるのだ。これが老いか。若い頃の必要性なんてわからなかった。というか、「カッコつけてる」と思っていた。

 

しかし、ある日サングラスをして1日過ごしてみると、夜まで眼が元気なことに気がついたのだ。その瞬間、いままでサングラスをファッションツールとしか考えていなかった自分の認識の浅薄さへの猛省と、貶してきたサングラス着用者の方々への謝意を心に強く感じた。これがわたしのサングラスが日用品になった瞬間である。

 

仕事をしている間、なんだかすごく調子がいい。普段気が付かない些細なことに気がつき、その対応への思考が早い。そういえば、今日は仕事中に眠気を感じていない。ひさしぶりによく寝たという事実にここで気がついた。いつもよりだんぜん気分もいい。あまりに調子が良すぎて、普段できないような積極的なコミュニケーションをしてしまった気がする。普段わたしのことを「暗いな」とか「寡黙だな」と思っていた同僚たちに、違和感を与えてしまったかもしれない。ただ人間よく寝るだけでこんなにもパフォーマンスが違うものなのか。逆に睡眠が取れる人にとってはこれが普通なのだと考えると、本当に睡眠って大事だ。

 

 

仕事を終えてから、職場の休憩室でここ最近書かずに溜まっていた日記を書いた。ここでもすごく集中できた。文章の質が上がることはなかったけど、休まずに書き続けられる。いやーほんとうに睡眠って大事だなあ。配信が開始されたばかりの宇多田ヒカルの25周年記念のベストアルバム『SCIENCE FICTION』を聴きながら書いていたが、このアルバムもすごく良い。わたしは宇多田ヒカルでは「二時間だけのバカンス」が好き。

 

日記を書き終えた満足感に包まれながら、酒を飲みに西木屋町にある「夜めしや きみ」さんへ。ビルの2階に店を構える、カウンターだけのお店で、店主のKさんが出すご飯もおいしくて、その人柄も含めてとても好きなお店だ。なんだかこのお店にくるとホッとする。

 

そしてわたしはこのお店のメニューのひとつである「エスニック春雨炒め」に目がない。このお店に来ると毎回頼んでしまう。すごくわたし好みなのだ。今回は食べるのに夢中で写真を撮り忘れるほど好きだ。不覚。代わりに、アテ2種盛りの写真を下に載せておく。「新じゃがとニラのナムル」と「人参とツナのしりしり」の盛り合わせにした。このお店では複数のアテの中から自分だけの2種盛りを選ぶことができる。どちらも美味しい!

 

「夜めしや きみ」さんの2種盛り

かなり長いこと飲んでいた。偶然にも他のお客さんが少なめだったので、Kさんとゆっくり話すことができた。というか、Kさんはかなりの聞き上手なのだ。これに甘えてずっと喋ってしまった。

 

ちなみにわたしはこの「人に話させてしまう」というのが、この店主のKさんの特殊能力だと思っている。ほかのお客さんが通っているのを見ていても、Kさんに話を聞いてもらっている人は、話はじめに緊張した表情をしていても、どんどんと緊張がほぐれていくのがわかる。Kさんにこのお店で話を聞いてもらうと、とても安心するのではないかと思う。ちなみにわたしは安心する。

 

わたし如き若輩者がこんなふうに評するのも失礼な話だが、あれは才能だと思う。もちろんお店をやっている以上はきっと意識もされているのだろうが、あそこまで人に話をさせてしまうのは難しいと思う。

 

「この人には自分のことを話しても否定をしなさそう」という人に稀に出会う。Kさんはそういう人で、実際他人に安心感を与えることのできる能力の持ち主だと思っている。

 

だから、なかなか帰れない。長く酒を飲んだ言い訳をするのはよくない。でも、本当にそう思っているし、とても素敵な能力だと思う。その空間、料理、人柄が好きなお店だ。またきます。前に約束していた伊丹十三監督の映画『タンポポ』のBlu-rayを貸す約束をしていたので、Blu-rayを渡した。

 

 

大満足でお店を出て、SpotWORKのマップを開くと、帰り道の方向にバッテリー回収の依頼が2件出ていたので、その作業をこなす。移動距離も増えて運動になるし、春の夜風が顔に当たってとても気持ちがいい。

 

家に帰るとパートナーがソファーで寝ていた。わたしが帰ると目を覚ましたので、今日も楽しかったという話をして、あと眠れるって大事なんだぞ、とほとんど寝ている彼女に言いながらわたしは風呂に入った。

 

そのまま1時ごろに就寝。

 

4月9日(火) 睡眠失敗! 激安立ち飲み屋へ

 

この日も睡眠に失敗した。深夜2時ごろに目を覚ましてしまって、眠れなくなった。もう眠って体力を回復するための体力がないのだろうか。我慢して寝ころがっていたが、うまく眠れないので起きてネットサーフィンをしてしまう。ついカッときて服やクーラーボックスなんかの、今後いるかどうかわからないものを買ってしまった。深夜テンションっておそろしいですね。

 

さすがに少しは寝ないと日中もたないと思ったので、睡眠薬を飲んで無理やり寝た。そんな寝方をしたから、いつもより早い6時に起きるのは大変に苦しく、言うことを訊かない体を無理やり動かし、動かない頭でなんとか支度をする。こんなときコーヒーで目が覚める体質だったらよいのにと思う。わたしそうではないのだが、いつも通りコーヒーを淹れる。

 

おにぎりを1個食べて急いで家を出る。外は雨で、歩いていかなくてはならない。自転車ならまだ間に合ったのだが、歩きで出勤するとなると遅刻時間ぎりぎりだ。とにかく早歩き、そしてダッシュ。なんとか遅刻せずに済んで、運動したおかげなのか体も目を覚ましたようだ。

 

途中は少し眠かったりもしたが、業務を終えて退勤。SpotWORKのマップを開くと職場の近くの、いつものタリーズコーヒーで補充の依頼があった。ちょうど日記を書く時間も欲しかったので、タリーズコーヒーでバッテリーを補充し、そのままの流れでコーヒーを注文する。店員さんは、作業しに来たおじさんが急にお客さんのムーブをしたことにすこし戸惑っていた。すいません。

 

1時間弱のあいだ日記を書き終わってもまだ夕方だ。タリーズを出て、近くのくまざわ書店にいくとおもしろそうな本を売っていた。しかも安い。『検証 ナチスは「良いこと」もしたのか?』という薄い冊子だ。

 

 

これを買い、歩いて帰る途上で、最近できた激安立ち飲み屋さん「あずきや離れ」に寄る。初めて入るお店だ。

 

店はビルの2階にある。店は見た目小さいが、カウンター以外にもところ狭しと小さなスタンドテーブルが置いてある。収容人数はぎゅうぎゅうに詰めて入って17〜20名だろうか。この日はすでに8人くらいのお客さんが上機嫌にお酒を飲んでおしゃべりで盛り上がっていた。

 

わたしは奥のテーブルに行きビールを頼んだ。SNSや飲み仲間の噂でこのお店が激安とは聞いていたが、サッポロの中瓶(500ml)が350円だった。生ビールは300円だ。250円のポテトサラダを頼む。これもとびこが乗っていて普通に美味しい。お店の端っこで『検証 ナチスは「良いこと」もしたのか?』を読みながら過ごす。ほかにも「ホタルイカと菜の花の酢味噌和え」「鶏皮串」を頼むがどちらも250円と150円でなんだか不安になるほど安い。

 

中瓶350円は本当にやばい

このお店は大宮の新宿会館の中にある「AZUKIYA」というお店の2号店らしいので、本拠があるからこその安さなのだろうか。こんなお店が近所にあると、それは通わざるをえないな。

 

良い気分で家に帰り、夕食の支度をする。すると間も無くパートナーも仕事から帰宅したので、一番美味しくなると言われる2日目のカレーを温めて、サラダも昨日の残りを出す。また、冷蔵庫には昨日買ったもずく酢があったのでそれも食卓に載せた。Youtubeで「コテンラジオ」のフランス革命の回を見ながら夕食。フランス革命って本当にドラマチックでおもしろい。そして2日目のカレーは美味い。

 

食後にパートナーのお父さんが家にくると聞かされた。彼女とお父さんの用事だと聞かされ、わたしがその場にいる必要がないと言われてわたしは風呂を沸かす。そして風呂にはいる。その間に彼女のお父さんはさっと来てさっと帰ったらしい。

 

風呂からあがると彼女は眠気に負けてホットカーペットで横になっていた。でも「汚れた食器は洗うから置いておいて」と譲らない。何度も、本当に任せていいのか聞いたのだが、自分がやるということなので、わたしは風呂上がりのストレッチをして、また日記を書く。ここ最近書けていない日記が溜まっていたのだ。記憶は薄らぐが、それも日記のお味のひとつですので。

 

しかし、日記を書いていたところ、だんだんと眠くなってきてしまった。そもそも睡眠に失敗して寝不足のところで早起きし、さらに酒を飲んで風呂に入ったのだ。眠くなるのは当然だ。わたしもうたた寝してしまう。30分後くらいにはっと目を覚まして、キリのいいところまで日記を書き上げて、0時頃に就寝。今日はよくがんばりました。

 

4月8日(月) 睡眠は下手なのか病気なのか 謎のお店「気まぐれや」に乗り込む

 

今日は仕事も休みだし、チーズケーキ店のバイトもなかったので、1週間ぶりに1日自由の“フリーな”日だった。朝はゆっくりで、10時くらいに目を覚ました。朝食にヨーグルトを食べて優雅な気持ちに浸る。わたしは無精なので、普段ならヨーグルトの容器から直食いするのだが、こんな日はガラスの器に盛り付け、デザイン性を意識しながら蜂蜜をかけてみた。味は変わらないけど心は豊かになった気がする。

 

午前中は支度をして病院に行った。近所の病院の皮膚科に通っていて、この日も薬を処方してもらおうかと思っていたのだが、この病院には睡眠時無呼吸症候群を専門にする呼吸器科もあることに気がついた。この前からわたしの寝不足や、イビキがうるさすぎて一緒に寝ているパートナーが居間の床の寝ていた件などで、自身の睡眠について医学的なアプローチをとってみたいという思いがが浮上してきていたところだったのだ。これはいい機会なので、受付で「睡眠時のいびきがひどくて困っている」という話をしたら、内科のお医者さんが呼吸器科専門だということで、内科で診てもらえることになった。

 

内科を受診する前に血圧を計測したら心拍が「98回」って表示されていたのですが、高くない?自分の心臓のことを心配していたらすぐに名前を呼ばれた。「睡眠が驚くほど下手なんです」という話をすると、お医者さん曰く「人は老いとともに舌のあたりの筋肉が喉を閉じるように、下がるか上がるかして(うろ覚え)いびきをかくことがある」とのことだった。また、東洋人は人体の特徴的に、首が細くいぇイビキをかきやすいそうだ。これはまったく知らなかった。

 

そのお医者さんは「睡眠時無呼吸症候群かどうかはチェックしてみないとわからないので検査器具を自宅に送るからセンサーを着けて寝てください」という驚きの診断結果がきた。たしかに、「睡眠について診察するのでここで寝てください」というのは患者としても難しいわな。ということで来週、睡眠検査機器が送られてくることになった。なんだかちょっと楽しみである。

 

病院を出ると1時半ごろだった。今度知人の結婚パーティーに呼ばれているのもあって、スーツやらなんやらをクリーニングに出して、昼飯のことを考える。ラーメン屋も近くにあるし、定食屋もある。

 

しかし、わたしが選んだのは、四条通を壬生あたりで南に入ったところにある食堂、「気まぐれや」である。このお店はわたしの家から近くて、何度かお店の前を通って気になっていたお店なのだ。なんと言ってもルックが渋い。「お好み焼き」という暖簾がかけてあるからには、おそらくお好み焼き屋さんなのだろう。店先の黒板には「焼きそば」「焼きそば2玉」「お好み焼き」ときて、次に「餃子」と続く。「鉄板を使って料理をするのかな」ということは予想できる。うーん、気になる。そうとくれば入ってみるしかあるまい。

 

 

お店の前まで行くと、前を通ったときにはなかった「おはぎ」というのぼり旗も立っているではないか。「気まぐれや」は本当に気まぐれになんでも作ってしまう店なのかもしれない。

 

引き戸を開けて店に入ると年配の女性が1人いた。店員さんだろう。そのほかに客はおらず、好きな席に座るよう促された。座ると『焼きそば?」と食い気味に聞かれる。「焼きそば」がおすすめなのだろうか。とりあえず「ビールありますか?」と聞いてみると、「あるよー」とのことで瓶ビールを頼む。

 

店内の黒板には意外にも海鮮がちらほらあった。これはいくしかない。「鰯の煮付け」と「焼きそば」を頼んだ。店内に新聞があったので料理がくるまで読もうと思って取ったのだが、読み始めてすぐ料理がきた。

 

気まぐれやの「鯵の煮付け」と「焼きそば」

そして、料理がきたらこの店員さんが、というかもう「おかあさん」と呼ばせてもらうが、とてもフレンドリーな方ですごい話しかけてきてくれた。わたしの話もよく聞いてくれて、軽く昼食をとるつもりがビールも2本目に突入する。

 

わたしもこの近所に住んでいるという話から、周辺の昔話になるし、わたしが映画が好きだという話をすると、おかあさんが最近観た映画の話になる。ちなみにおかあさんのベスト映画は『アラビアのロレンス』だそうだ。16歳のときに観たのが忘れられなくて、今でも映画音楽のコンサートで『ロレンス』の曲があると行くそうだ。そして『ロレンス』の鑑賞は映画館のスクリーン以外は認めないと言っていて、面白かった。

 

このおかあさんはこのお店を30年以上もやっているらしい。鳥取出身で、京都に来て初めてトンカツを食べたときの衝撃の話や故郷の話、戦争がいかに愚かな行為かな行為かというような話にまで話題が及んだ。かなり長居して気がついたら15時を回っていた。とても楽しかった。帰ろうとお会計をお願いするとお土産におはぎをいただいてしまった。ありがたい。また来ますと言って店を出た。

 

いい気持ちで夕食の食材を買いにスーパーまで歩く。今日はカレーだ。それ以外の食材もすこし買って帰宅し、さっそく調理を開始する。以前冷凍しておいた玉ねぎの細切りを飴色になるまで炒め、同時にほかの食材を切る。今回は薄切りの豚肉を使って豚しゃぶカレーにする。カレーも入れる野菜はじゃがいも、にんじん、茄子とキノコである。さいごに余っていたトマトペーストも入れてみた。

 

カレーを煮込みながら日記を書く。また、洗濯物も取り込む。そうこうしているうちにパートナーから「もうすぐ仕事が終わる」旨の連絡がきたので、カレーの付け合わせにサラダをつくる。レンコンを薄切りしてさっと湯通しし、水菜とトマトときゅうりを切って、マヨネーズベースのドレッシングで和えた。デパ地下のデリ風にしたかったのだが、微妙な見た目になった。まあ、美味ければよし!

 

彼女が帰ってきて夕食。今日の病院のことや、「気まぐれや」でのごとを話す。ひさしぶりにふたりでゆっくりと会話した気がする。食後に、おかみさんからいただいたおはぎを温かいお茶で食べる。あんこってお茶に合う。

 

テレビをちょっと見てから風呂に入って就寝。明日は朝早くからの勤務だったので、この日は0時前には寝た。

 

4月7日(日) 残念ハンバーガー 映画『プロスペローの本』

 

今日も朝から仕事だった。昨日に続いて今日も天気がとてもいい。まだ眠っているパートナーを起こさないように静かに起きて、顔を洗って支度をする。コーヒーを淹れて、冷凍保存していたパンをこんがりと焼いて朝食にする。

 

天気がいいので、今年にはいってはじめて日焼け止めを塗った。冬でも塗ったほうがいいのはわかっているのだが、ついつい面倒で塗るのをサボってしまう。日焼けするだけで癌のリスクが上がるという点を考えると、数年後か数十年後には塗らない選択肢はなくなるのだろうな。

 

 

仕事は、昨日に比べると自分のペースで業務を行えてスムーズに終えることができた。今日は仕事終わりでパートナーと待ち合わせの約束をしていた。少し早めの夕食に行こうと彼女を誘っていたのだ。

 

わたしが行きたかったのは「シェイクシャック」だ。ハンバーガーチェーン店である。わたしは一度も行ったことがなかった。しかし、ネットで入ってくる情報によるとなかなか美味しいらしいということで、一度行ってみたかったのだった。

 

たしかコロナの時期だったと思うが、わたしの職場の近くに大きなシェイクシャックができたので、いつでも行くことができたわけだが、なんとなく行く機会を作れなかった。この日はわたしの職場の近くで彼女を待ち合わせてシェイクシャックへ。彼女を待つ間に日記を書いていた。

 

 

春の週末、四条通は人が多い。もしかしたらシェイクシャックの席が空いていない可能性もあるので、期待もほどほどに店に向かった。意外にも空いている。まだ17時台だったので、このあと増えるのかもしれない。

 

注文する前に店頭のメニューでどれにしようか迷うが、まったく情報がないので、レジの店員さんに聞いてみることにした。素直に「初来店です」と伝えると、最初はオーソドックスな「シャックバーガー」がおすすめだと言われたので、それを頼むことにする。同じく初めてシェイクシャックに来たパートナーは「スモークシャック」というベーコンが入ったバーガーにした。ビールがあったら飲もうかとも思ったが、生ビールが18オンス≒約550mlで850円という値段で、さすがにこれは高い。ソフトドリンクにDr.ペッパーを注文してフライドポテトも追加した。円安止まらないなー。

 

料理の準備ができたらブザーが鳴るというタグを渡され、とてもワクワクして待つ。パートナーと「マクドナルド」や「バーガーキング」などのチェーン店や個人のハンバーガーとどう違うのか、想像の話で盛り上がっていると、ブザーが鳴った。

 

金属のトレーに載って「シャックバーガー」がやってきた。バーガーキングのワッパーに比べると、ちょっと小さい。なにはともあれ一口齧りつく。……美味しくない。バンズはしっとりのレベルをこえて、なんだかじっとりと濡れているし、パティはボソボソとして肉の風味もほとんどない。ソースも味がはっきりしないし、正直期待はずれだった。もしかしたらわたしがこの時食べたこのバーガーがそうでもないだけで、パートナーのスモークシャックは美味しいのかもしれんと一口もらったのだが、それもあまり美味しくなかった。

 

この時は期待していたのだが……

 

期待しすぎたのだろうか。けっこうショックが大きかった。パートナーとの会話の内容も一転して、「わたしたちのハンバーガーが偶然ハズレなだけでは?」という考察を始めることになった。実際、このお店ができた当時は行列ができていたのだ。そうでもしないと納得ができないではないか。

 

こっそり周りのお客さんのハンバーガーを盗み見てみると、ハンバーガーが湯気を立てていた。わたしたちのハンバーガーはぬるかったし、もしかしたら調理をしてから時間が経ったものだったのかもしれない。どうりでパンが濡れそぼっていたわけだ、と2人でなんとか思い込む努力をした。まあ、それはそれでそんな時間のおいた商品を提供してほしくはないのだが。

 

仮に偶然わたしたちがハズレを引いただけだとしても、わたしはもう2度と来ることはないだろう。かなり楽しみにしていたので残念である。パートナーと暗い顔でお店を出て、このままでは帰れないわたしは映画を観にいくことにした。彼女はもう帰るそうだ。

 

ついこの間、接客業は難しいと日記に書いたばかりだが、食事を提供する店というのも難しい。わたしが勝手に期待していたのも悪いが、ひどく落ち込んでしまった。わたしには合わなかったが、これが好きな人もいるのだろう。そんなハンバーガーショップがあるということがわかっただけでもよしとしよう。運も相性が悪かったのだ。

 

 

京都シネマへ行き、【ピーター・グリーナウェイ レトロスペクティヴ 美を患った魔術師】の日替わり上映を見ることにする。今日はシェイク・スピア原作の『プロスペローの本』だ。

 


www.youtube.com

 

「英国式庭園殺人事件」「コックと泥棒、その妻と愛人」などで知られるイギリスの名匠ピーター・グリーナウェイが監督・脚本を手がけ、ウィリアム・シェイクスピア最後の戯曲「テンペスト」を原案に独創的な映像美で描いた復讐劇。

かつてミラノ大公だったプロスペローは、12年前にナポリ王アロンゾーと共謀した弟アントーニオに国を追放され、娘ミランダとともに絶海の孤島で暮らしていた。アロンゾーへの復讐を片時も忘れないプロスペローは、友人ゴンザーローから譲り受けた24冊の魔法の本を長い歳月をかけて読み解き、強大な力を手に入れる。やがてプロスペローは島の怪物キャリバンや妖精エアリエルを操り、魔法の力で復讐を遂行していく。

参照元:映画.com)

 

 

最初は笑っちゃうほどわけがわからなかった。わたしだけが、作品を観る上でなにか大事な設定を理解していないのではないかという疑念に苛まれた。だが観ていくうちにだんだんとその独特の演出にはある理屈が通っていることに気がついて、なんとかストーリーがわかってきた。

 

しかし、変な映画だった。基本出演者が全裸だったとかも変なのだが、いわゆる映画的な表現の枠からの逸脱が激しい。言うならば歌舞伎やオペラ、バレエなんかに近かったように思う。しかし、あくまでも映画であり、映像でしかできない表現がしっかり出てくる。いままで色々と映画を見てきたけど、その中でも指折りに変な映画だと思う。

 

しかも、この変な表現にロジックがあるので、見ているうちにだんだん意味がわかるのが面白かった。この前「キュビスム展」に行ったときと同じ種類の現象だと思う。一見すると、ヘンテコで意味がわからないのだが、理屈が通っているので、見ているうちにその独特の言語を知らず知らずのうちに体得してしまう感覚だ。これは唯一無二の体験だった。映像の耽美さなんかもさることながら、この感覚を映画館で体験できてよかった。でも本当に変な映画!(褒め言葉)

 

映画館を出てからSpotWORKのマップを開く。さすが日曜日の夜、そこそこ作業依頼がでていた。京都駅方面へ向かい、コンビニで1個、ヨドバシカメラで4個のバッテリーを回収した。まだ体力が余っていたので、いま個人的にブームがきているダンスの練習をすることにして、梅小路公園へ行った。

 

梅小路公園は京都駅からも近い公園で、隣に京都水族館が併設されていて芝生もある。あまり夜に行ったことはなかったけど、この時間なら人も少ないだろうと思っていた。しかし実際には、そこらじゅうのベンチに人が座っていた。外も暖かく、夜桜も見たいだろうし、これはわたしの読みが甘かった。

 

しかし、人の目を気にしてストリートダンスができるか。世間の目に負けずに逆立ちとかバク転の練習なんかをYoutubeを見ながらやってみる。当然だけどまったくできない。わたしの体はこんなに重かったのだ。あまりに自分の頭で思い描いた動きができないのが面白くて笑ってしまう。

 

そんなふうに夜の公園でのたうち回っていたのだが、パートナーから連絡が入った。どうやら自転車のメンテナンスがうまくいっていないらしく、手伝ってほしいとのこと。ちょっと動いてすぐに疲れ果てていたのでこれをきっかけに家に帰ることにする。しかし、ちょっと運動をしたせいでお腹が減ったのでコンビニでポテトサラダを買った。

 

家に着いてパートナーに聞いて問題の箇所を見てみると、動かさなくてもいい部品を動かそうとしていた。だから実際はわたしが一緒にメンテナンスする必要はなかった。まあ、問題が解決したならそれでいい。ポテトサラダを食べながらNetflixで動画を見て、ちょっとゆっくりしてから1時過ぎに就寝。

 

4月6日(土) Netflix再契約 映画『アインシュタインと原爆』

 

今日は朝早くから仕事だったので早起きだった。眠るのが苦手なわたしだが、逆に早起きが得意かというとそうでもない。でも出勤時間は否応なしにやってくるので、起きてトーストを焼き、コーヒーを飲む。支度をしていたら、家を出るのがギリギリになった。最近このパターン多いなあ。

 

 

昼間はとにかく仕事を淡々とこなす。おかげで溜まっていた仕事はある程度カタを付けることに成功したので、まあよいだろう。いつもより1時間長く勤務してから退勤。

 

 

そこからバッテリーをコンビニで3個補充して、スーパーでビールを買って帰宅。今日はちょっと疲れた。帰るとパートナーが夕食を作ってくれていた。ありがてえ。わたしはソファーに座り、日記を書きながら彼女の料理ができるのを待っていたのだが、いつの間にかうとうと眠ってしまっていた。彼女に「ごはんできたよ」と、起こされて目を覚ました。

 

今日の夕食はピーマンの肉詰めと、水菜とトマトのサラダとじゃがいもの味噌汁だ。美味しい。彼女曰く、ピーマンの肉詰めの材料にパン粉が必要と書いてあったが、家になかったので天かすで代用したらしい。これがいい味を出していた。お皿洗いもやってくれて、わたしはゆっくりとすることができた。彼女は今日は休みで、部屋の掃除や洗濯もしてくれていた。感謝です。

 

 

食後にNetflixを再契約した。前にも入っていたのだが、見る頻度がどんどんと少なくなっていき、最終的には見なくなってしまった。しかし今回は今度パートナーと観に行きたいと話している映画、『オッペンハイマー』の予習のために、Netflixで配信されている『アインシュタインと原爆』という映画を見たかったのだ。

 

前にわたしが入っていたときにはなかった広告付きプランというのができていた。1ヶ月790円で見ることができるが、映画の途中で広告が入るらしい。また、このプランでは見ることのできないコンテンツなどもあるそうだ。調べてみると『アインシュタインと原爆』は広告付きプランでも見ることができるようなので、これでいいやと広告付きプランを再契約した。

 

1933年、ユダヤ人住民の組織的な迫害を始めたナチスの脅威から身を隠すため、逃亡生活を送っていたアインシュタイン。イギリス・ノーフォークの野原の中に建てられた木造小屋を隠れ家としており、そこでの生活が平和主義と武力行使の狭間に立たされた彼の人生におけるターニングポイントとなる。

参照元:映画ナタリー:

natalie.mu

 

アインシュタインと原爆』は実際にアインシュタインの残した発言や手紙などでセリフを構成した劇映画で、タイトルの通りアインシュタインと原爆の繋がりを軸に人生を追う。わたしはそもそもアインシュタイン原子爆弾がどう関わりがあるのかわからなかったのだが、この映画では専門的な解説は排してあるもののこの関わりがわかりやすく描いてあった。

 

もちろん、この作品はドキュメンタリーではないので、アインシュタインが実際にどう考えていたのかはわからないが、本人が「わたしの唯一の誤りだ」と発言している通り、原爆の誕生に自分が大なり小なり影響を与えたことを悔いていたのだろう。アインシュタインは手紙で、ナチスの兵器開発の危険性から原子爆弾の開発を進めることを、移住先の米国大統領に進言していた。

 

劇中では、アインシュタインに手紙を送った日本の新聞記者の描写が出てくる。「日本国民は戦後復興をしていくなかで、自国が犯した罪に向き合い、反省しているところだが、あなたはどうか」という内容だった。

 

ちなみにこの『アインシュタインと原爆』はイギリスで製作された映画で、仕方がないがドイツでのナチスの党員の演説が英語なのはかなり違和感があった。映画『オッペンハイマー』では、原子爆弾はどのように描かれるのだろうか。どのように描かれるにしても、原子爆弾の存在について考えを深めることができることを期待している。

 

 

映画を見終わってから久しぶりにNetflixで見れる作品のラインナップの変化を見て楽しんだ。作品をスワイプするだけでちょっと楽しいのだ。そういえば、解約したときもコンテンツのサムネイルをスワイプするだけして、結局見ないなと思って解約したのだったな。

 

さすがに眠くなってきたので、お風呂に入り、就寝。明日も仕事だ。